第五章ノ三:およそ戦いは、正を以って合し、奇を以って勝つ。
ここまでで有利な態勢を築くことができた。
ではどのように戦うべきか。
およそ戦いは、正を以って合し、奇を以って勝つ。
敵と対峙するときは、正攻法で進め、奇策で決する。
奇策は得てして、ハイリスクハイリターンだ。
失敗すれば大敗を喫す。
対して正攻法は、お互いががっぷり四つに組み合う、一対一の視点ではローリスクローリターンだ。
したがってまずは正攻法で様子を見つつ進め、相手のほころびが見えたり、勝ち筋が見えたときにはそれに乗じて勝敗を決する。
真の勝者
ここまで、戦いは智略を張り巡らせ、戦局を見極め、戦略的にすすめるべしと学んだ。
戦い=武力のぶつかり合いではないのだ。
それは勝敗を決する最後の詰めの部分で出てくることであり、その前段がうまく行けばそれが登場しないことさえある。
勝兵は先ず勝ちて然る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて然る後に価値を求む。
まず勝利する態勢が揃ってから戦いを始めるのが勝者であり、戦いが始まってから慌てて勝ちを求めるのは敗者のすることだ。
正々堂々と真正面からぶつかることを避け、とにかく智略を尽くして最も効率よく勝利をもぎ取る。これが孫武の考え方だ。
勝を見ること衆人の知る所に過ぎざるは、善の善なるものにあらざるなり。
一般人にでも分かるような勝ちは最善ではない。
戦い勝ちて天下を善しというも、善の善なるものにあらざるなり。
世間でもてはやされる目立った勝ちも最善ではない。
故に秋毫を挙ぐるも多力となさず。
例えば毛を一本持ち上げても当然なので力持ちと言われない。
日月を見るも明目となさず。
日や月が見えても当然なので目が良いとは言われない。
雷霆を聞くも聡耳(そうじ)となさず。
雷が聞こえても当然なので耳が良いとは言われない。
古の所謂善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり。
昔の戦上手は、そんな当然のように勝った。
故に善く戦う者の勝つや、智名なく、勇功なし。
だから、戦上手が勝ってもあまり認識されておらず、称賛もされていない。
次回予告
ようやく第五章が終わった。
これまでは情報戦の大切さ、情報戦で先んじていたときの戦い方の指南だったが、なかなかそううまく行かない場合もある。
情報格差が作れないとき、どう戦っていけばよいのだろうか>
お楽しみに!
参考図書
この本で勉強させていただいています。興味のある方はこちらをどうぞ。