第七章ノ二:激水のはやくして石を漂わすに至るは、勢なり。
孫子では数値や見た目で単純に表すことができない「勢い」を強力な武器ととらえて度々言及している。
激水のはやくして石を漂わすに至るは、勢(せい)なり。
激しく流れる水が岩を押し流すのは、勢いによるものだ。
この「勢」は士気、勝ちグセ、調子に乗っていると言った言葉に置き換えられるだろう。
スポーツの試合でも一方的な展開になって止まらないことがよくある。
ラグビーや格闘などボディコンタクトは心理状態が及ぼす影響は大きい。
鷙鳥(しちょう)の撃ちて毀折(きせつ)に至るは、節なり。
猛禽が獲物を一撃で粉砕するのは、勢いを凝縮して放つからである。
何事も力を集中すると思わぬパワーが生まれたりするものだ。
孫子における勢という単語は組織のエネルギーを指し、個人のエネルギーは別に気と呼んでいるそうだ。
それを踏まえ
善く戦う者は、これを勢に求めて人に責(もと)めず。
戦上手は、組織の勢を重視し、個人レベルに注目しない。
では、組織の勢をどうやって生み出すのか。
軍の衆を聚(あつ)めてこれを険に投ずるは、これ軍に将たるの事と謂うなり。
自軍全軍を窮地に追い込むのは将師の役目である。
背水の陣、窮鼠猫を噛むというやつだ。火事場の馬鹿力も近い。
兵士、甚だ陥れば即ち慴(おそ)れず。
兵士は窮地に立たされると恐れがなくなる。
往く所なかれば即ち固く、深く入れば即ち拘(こう)し、已(や)むを得ざれば即ち闘う。
逃げ場がなければ結束し、敵陣深く切り込めば団結し、どうしようもない事態になると必死に闘う。
戦国時代、やらなければやられるということを骨身に理解させることが勝利への道だったのだろう。
現代では生命の取り合いをする場面は少なくなり、個人の自由や権利も保証されているので、この方法が採用される機会もすくなってきているはずだ。
それにしても、自軍を窮地に追い込むというのは具体的にどういうことをしていたのだろうか。
また、この勢、バイオリズムのようなもので、組織が勢いに乗っていてもだれてしまうときが来る。
そして組織は個人の集まりである。個人のエネルギー「気」の集合体である。
朝の気は鋭(えい)、昼の気は惰(だ)、暮の気は帰(き)。
気は朝は鋭く、昼はだれ、夕方には下がる。
実際の朝昼晩という時間帯だけでなく、勢いというのは、初期に盛り上がり、その後だれてだんだんトーンダウンしていくものだ、ということなのだろう。
戦上手は、その鋭気を避けてその惰帰(だき)を撃つ。
戦上手は敵の士気が高いうちは戦いを避け、下がった所を撃つ
お互いの勢を見極めて、有利なときに戦え、というのはわかった。
では、勢いに乗って敵を追い詰めたら、そこでどうするか。
囲師(いし)には必ず欠き、窮寇(きゅうこう)には迫ることなかれ。
敵を包囲したら必ず逃げ道を作り、窮地に陥った的には攻撃を迫ってはならない。
窮地に陥ったものは信じられないパワーを出すのは敵も同じだ。
追い詰めすぎると相手の士気が急激に上昇して「勢」が逆転してしまう恐れがある。
前に学んだように、相手を全滅させるより、うまく取り込むなどした方がリスクが低くなる。
次回予告
ここまでは敵国内、アウェーでも通じる戦い方であった。
自国で戦うときはなにか違ってくるのだろうか?
次回はそれを学ぶ。
お楽しみに!
参考図書
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