第十章ノ二:将とは、智、信、仁、勇、厳なり。
将とは、智、信、仁、勇、厳なり。
優れた将は、智謀、信義、仁慈、勇気、威厳がある。
智謀とは、実践的な知力
信義とは、部下からの信頼
仁慈とは、思いやり
勇気とは、実行力
威厳とは、部下からの畏怖
頭が良くて、思いやりがあって、実行力があるから、部下から信頼されているし畏怖されている。
こういう将がよい。
しかし、そう言った優れた将にも五つのリスクがある。
一、必死は殺さるべきなり。
必死になりすぎると殺される。
二、必生は虜にさるべきなり。
助かろうとあがけば捕虜になる。
三、忿速(ふんそく)は侮(あなど)らるべきなり。
短気は敵の術中にはまる。
四、廉潔(れんけつ)は辱めらるべきなり。
清廉では敵の挑発に乗ってしまう。
五、愛民は煩(わずらわ)さるべきなり。
民への思いやりを持ちすぎると煩わされる。
孫氏からリーダーとはどうあるべきか、を学ぼうとする人も多い。
しかし、リーダーにもタイプがある。
組織のリーダーと現場のリーダーだ。
社長と部長みたいなものだ。
孫氏の時代では君主と将といったところか。
確かに組織全体の方向は君主が定める。
しかし実際に軍を動かすのは将だ。
それ将は国の輔(ほ)なり。
将は国の補佐である。
輔 周なれば、即ち国必ず強く、輔 隙(げき)あれば、即ち国必ず弱し。
君主と将の関係が良ければ国は強くなり、いさかいがあれば国は弱くなる。
故に君の軍に患うる所以のものに、三あり。
故に君主が軍に余計な介入をすれば、三つのリスクがある。
一つ目は、軍の以って進むべからざるを知らずして、これに進めと言い、
進軍すべきではないのに、進軍せよと言い、
軍の以って退くべからざるを知らずして、これに退けと言う。
撤退すべきではないのに、撤退せよと言う。
これを軍を縻(び)すという。
これでは軍の能力を妨げてしまう。
三軍の事を知らずして三軍の政を同じくすれば、即ち軍士惑う。
次に君主が軍の内情を知らないのに軍政に干渉すれば、軍は混乱する。
三軍の権を知らずして三軍の任を同じくすれば、即ち軍士疑う。
そして君主が指揮系統を無視して軍に命令を下せば、軍は不信感を抱く。
三軍すでに惑い且つ疑わば、即ち諸侯の難至る。
軍が混乱し不信感を抱けば、周囲の国が攻め入ってくる。
これを軍を乱し、勝を引くと言う。
これが軍を乱して勝利を追いやってしまうことだ。
まず、君主(社長)と将(部長)は連携が取れていないと行けない。
それが強い組織だ。
そして軍(部)に対して命令を下すのは将(部長)であり君主(社長)ではない。指揮系統を飛び越えると、混乱し組織は混乱し弱体化する。
さらに、戦いは戦いのプロに任せておけ、と言わんばかりに、君主の命令を絶対とはしない場合も時にはあると孫武は言う。
君命に受けざる所あり。
君命でも従うべきではない場合もある。
それは一体どういうときだろうか。
戦道必ず勝たば、主は闘うなかれと言うとも必ず戦いて可なり。
必ず勝てる戦いであれば、君主が戦うなと言っても闘うべきである。
戦道勝たずんば、主は必ず闘えと言うとも戦うなくして可なり。
勝てない戦いであれば、君主が戦えと言っても闘うべきではない。
故に進んで名を求めず、退いて罪を避けず、ただ人をこれ保ちて而して利、主に合うは、国の宝なり。
だから将は功績を上げても名誉を求めず、敗北しても罪を避けず、ただ人民を保全し、国の利益、君主のためになるのは国の宝だ。
将の器には五つの要素が必要である。しかしそれらも突出して強すぎてはリスクが出てくる。
そして、君主と将の関係は、国を強くも弱くもする。
君主は軍に干渉してはならない。将はさせてはならない。
時には戦いに関しては君命に背くことさえ必要な場合がある。
次回予告
今も昔も、情報は形がないにもかかわらず戦いに大きな影響を与える。
では孫武はどのようにして情報を得ようとしたのか。
次回はそれを学ぶ。
お楽しみに!
参考図書
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